「敦煌 小説 あらすじ」というキーワードで検索されているあなたは、井上靖の歴史小説『敦煌』に興味をお持ちで、その魅力や内容について詳しく知りたいと考えているのではないでしょうか。この小説は、科挙に失敗した後、西夏文字に魅せられて西域へと旅立つ主人公は誰なのか、そして登場人物たちが織りなす壮大な物語をあらすじ 簡単に理解したいという方もいらっしゃるかもしれません。
また、この物語が敦煌 歴史 時代背景をどのように描いているのか、敦煌は実話に基づいているのか、そして多くの読者の感想やレビューがどのようなものなのか、気になる方もいることでしょう。加えて、1988年に公開された敦煌 映画は失敗だったのかという点も、小説ファンにとっては注目すべき点といえるでしょう。
- 井上靖の小説『敦煌』の基本的なあらすじと登場人物
- 物語の舞台となった敦煌の歴史的背景と事実との関連性
- 映画『敦煌』の評価と小説との違い
- 読者がこの作品から何を感じ取っているのか
井上靖の小説『敦煌』そのあらすじの概要

- あらすじを簡単に解説
- 主人公は誰?登場人物たち
- 『敦煌』が描く歴史と時代背景
- 小説『敦煌』は実話に基づいているのか?
- 読者の感想・レビュー
あらすじを簡単に解説
井上靖の歴史小説『敦煌(とんこう)』は、北宋時代の中国を舞台に、青年・趙行徳(ちょうこうとく)の波乱に満ちた生涯を描いた作品です。物語は、科挙の最終試験である殿試(でんし)に臨むため首都開封(かいほう)にやってきた趙行徳が、試験中に居眠りをしてしまい、受験に失敗するところから始まります。
失意の中、彼は街で「肉」として売られている一人の女性と出会い、彼女を救い出します。彼女から渡された布切れには、見たことのない奇妙な文字が書かれていました。それが西夏(せいか)文字であることを知った行徳は、その文字を学びたいという強い思いから、遥か西域へと旅立ちます。
西域に足を踏み入れた行徳は、やがて西夏の軍に捕らえられ、漢民族で構成された傭兵部隊に編入されます。そこで彼は武骨な隊長・朱王礼(しゅおうれい)に見出され、書記として重用されていくのです。物語は、西夏の攻防、ウイグル族の王女ツルピアとの出会いと悲恋、そして朱王礼との深い絆と決別、さらに戦乱の中で敦煌の文化遺産を守るための趙行徳の決断へと展開します。
行徳が莫高窟(ばっこうくつ)の洞窟に膨大な経典を隠すという壮大な出来事をクライマックスに、物語は終焉を迎えます。この作品は、後世に莫高窟から発見される敦煌文献の由来を主題としており、井上靖の一連の「西域小説」の代表作として知られております。
主人公は誰?登場人物たち

小説『敦煌』の主要な登場人物は、物語の中心となる趙行徳、彼を導く朱王礼、そして悲劇の王女ツルピアです。
趙行徳
主人公の趙行徳は、北宋出身の書生です。科挙に失敗したことをきっかけに、西夏文字への強い関心から西域へと足を踏み入れます。彼は知識人でありながら、困難な状況下でも生き抜く強さを持つ人物として描かれています。戦乱の中で仏教に傾倒し、敦煌の貴重な経典を守るという使命感に燃える姿は、読者に強い印象を与えます。
朱王礼
朱王礼は、西夏軍の漢民族部隊の隊長です。武骨で豪放磊落な性格ですが、趙行徳の才能を見抜き、彼を重用します。ツルピアを巡る李元昊との確執、そして李元昊への反乱など、その行動は物語に大きな転換点をもたらします。趙行徳との間には、主従関係を超えた深い信頼と友情が存在しました。
ツルピア王女
ツルピアは、ウイグル族の王女です。趙行徳と愛し合うようになりますが、西夏の皇太子である李元昊(りげんこう)に強制的に妻とされ、悲劇的な運命をたどります。彼女の存在は、趙行徳の人生に大きな影響を与え、彼が仏教に傾倒するきっかけの一つとなります。
その他の登場人物
その他にも、西夏の君主である李元昊、行徳と行動を共にする呂志敏(りょしびん)、敦煌の大家である曹延恵(そうえんけい)、そして于闐(うてん)の末裔である尉遅光(うつちこう)など、個性豊かな人物たちが物語を彩ります。彼らはそれぞれの立場や信念を持って行動し、物語に深みと奥行きを与えています。
『敦煌』が描く歴史と時代背景

小説『敦煌』は、11世紀初頭の中国、北宋時代を舞台としています。この時代は、宋と新たに勃興してきた西夏との間で、激しい動乱が繰り広げられていました。
物語の舞台となる敦煌は、中国西北部の甘粛省の辺境に位置し、シルクロードの分岐点として古くから栄えたオアシス都市です。漢や唐の時代には軍事基地として異民族と対峙する重要な拠点でしたが、時には吐蕃(とばん)や西夏などの異民族の支配下に入ることもありました。
小説では、この歴史的背景が物語に深く関わっています。趙行徳が旅立つ西夏は、タングート族が建てた国で、独自の文化や文字を持つ強大な勢力でした。物語は、この西夏と宋、そしてウイグルなどの周辺民族との複雑な関係性を描写し、当時の西域が直面していた激しい民族間の対立や興亡をリアルに描き出しています。
小説『敦煌』は実話に基づいているのか?

井上靖の小説『敦煌』は、完全な実話に基づいているわけではありませんが、歴史上の事実を巧みに取り入れ、作者自身の推論や想像力を加えて創作された歴史小説です。物語の根幹には、後世に莫高窟から発見された膨大な「敦煌文書」という事実があります。これらの文書は、1900年代初頭に王円?(おうえんろく)という道士によって偶然発見され、その学術的・美術史的な価値から世界を驚かせました。
小説は、この敦煌文書が莫高窟の蔵経洞(ぞうきょうどう)に隠された経緯について、趙行徳という架空の主人公を通じて壮大なロマンを紡ぎ出しています。例えば、ペリオが最初に主張した「西夏王朝の侵攻から守るために、敦煌の仏教徒が文書を隠した」という説をベースにして、物語が展開されているのです。
ただし、文書が隠された理由については、史実では複数の説が存在します。西夏が仏教を厚く尊信していたことから、イスラム教勢力からの侵攻から守るためという説や、破損した文書や不要な文書がまとめて格納されたという「格納・廃棄説」なども有力な説として挙げられています。
井上靖は、これらの謎めいた歴史の隙間を埋めるように、行徳の人生と文書の運命を重ね合わせ、読者に感動的な物語を提供しています。このように、実在の歴史的遺産を起点としつつ、フィクションの要素を融合させることで、作品はより深みと魅力を持つのです。
読者の感想・レビュー
小説『敦煌』は、長年にわたり多くの読者に親しまれており、その感想やレビューには共通した感動が見受けられます。多くの読者は、壮大なスケールで描かれる歴史ロマンに強く惹きつけられています。特に、未知の西域が醸し出すエキゾチックな雰囲気や、多様な民族が群雄割拠する苛烈な戦乱の描写は、読者を物語の世界に深く引き込みます。
物語のスケールと世界観に関する感想
読者からは、広大な砂漠やシルクロードの情景が目に浮かぶような描写に感銘を受けたという声が多く聞かれます。多様な国や民族が入り乱れる当時の西域の様子が鮮やかに描かれているため、壮大な歴史の中に身を置いているような感覚で読み進められるという感想も見受けられます。
登場人物への共感と感動
主人公の趙行徳や朱王礼といった登場人物たちの人間味あふれる描写も、読者から高く評価されています。彼らの心の動きや葛藤、そして深まる絆が、単なる歴史物語に留まらない人間ドラマとして感動を与えているのです。例えば、趙行徳が西夏文字に魅せられ、困難な状況下でも自身の信念を貫く姿に共感する読者が多くいます。
クライマックスへの評価
敦煌の莫高窟に経典が隠されるというクライマックスのシーンは、特に印象的であるという声が多く聞かれます。知的な財産である経典が、物的宝物を凌駕するというメッセージ性や、それを後世に託した人々の高潔な精神に、読者は心を揺さぶられています。この場面が、物語全体のロマンを一層高めているという意見も多数あります。
読書体験における注意点と発見
一方で、中国史に不慣れな読者からは、難解な漢字や地名に戸惑うという声も一部で見受けられます。しかし、前述の通り、それでも物語の面白さやロマンに惹き込まれ、最後まで読み終えたという意見も多数あります。
中には、小説を読んで敦煌という場所に強い憧れを抱き、実際に訪れたいと感じるようになったという読者も少なくありません。発表から長い年月が経った今でも、色褪せることのない普遍的なテーマと、井上靖の優れた筆致が、多くの読者に支持され続けている作品と言えるでしょう。
小説『敦煌』のあらすじから広がる世界

- 作者・井上靖について
- 映画『敦煌』のあらすじと小説との関連
- 映画『敦煌』は失敗だったのか?その背景
- 小説『敦煌』はどこで読める?
作者・井上靖について
小説『敦煌』の作者は、日本の代表的な歴史小説家である井上靖(いのうえ やすし)です。彼は1907年(明治40年)に生まれ、1991年(平成3年)に亡くなるまで、多くの傑作を世に送り出しました
。井上靖は、歴史を深く掘り下げ、壮大なスケールで人間ドラマを描くことを得意としていました。彼の作品は、単なる史実の記述に留まらず、そこに生きる人々の情熱や苦悩、運命といった普遍的なテーマを織り交ぜることで、読者に強い感動を与えます。
『敦煌』は、彼の「西域小説」と呼ばれる一連の作品群の中でも、特に代表的な作品の一つです。彼の西域小説は、シルクロード周辺の歴史や文化を題材にしており、その土地に実際に足を運んで得た知識や、学術的な研究に基づいた深い洞察力が作品に反映されています。
しかし、前述の通り、井上靖自身は『敦煌』を執筆する以前に敦煌を訪れたことはありませんでした。当時の敦煌学の第一人者であった藤枝晃(ふじえだ あきら)氏から啓発を受け、想像力を駆使してこの壮大な物語を紡ぎ出したのです。
この作品と、同時期に発表された『楼蘭(ろうらん)』によって、彼は1960年に毎日芸術賞を受賞しました。彼の作品は、日本人にとって「西域」という言葉から連想されるロマンや神秘性を形作る上で、大きな影響を与えたと言えるでしょう。
映画『敦煌』のあらすじと小説との関連

小説『敦煌』は、その壮大なスケールと物語性から、初版刊行時より映画化の構想がありました。そして、小説発表から約30年後の1988年に、佐藤純彌監督、大映製作、東宝配給でついに映画化されました。
映画版のあらすじは、基本的に小説のストーリーラインを踏襲しています。北宋の時代、科挙に失敗した趙行徳が西夏に興味を持ち、西域へと旅立つところから物語は始まり、西夏の漢人部隊への編入、隊長朱王礼との出会い、ウイグルの王女ツルピアとの悲恋、そして敦煌の文化遺産を守るための趙行徳の決断が描かれています。
映画は、小説で描かれた壮大な世界観を忠実に再現するため、長期にわたる現地ロケが中国で行われました。当時の邦画としては異例の巨額の製作費が投じられ、特に敦煌城のセットは、現在の敦煌観光名所の一つとして残されているほどです。
映画は、小説のファンだけでなく、歴史ロマンや大作映画を好む多くの観客を魅了し、大きなヒットを記録しました。しかし、細部においては、映画的な表現の都合上、小説とは異なる描写や省略されたエピソードも存在します。例えば、小説では行徳の仏教への傾倒がより詳細に描かれていますが、映画ではその部分が簡略化されているなど、物語の焦点の当て方に若干の違いが見られます。
映画『敦煌』は失敗だったのか?その背景

映画『敦煌』は、興行収入82億円という大ヒットを記録し、当時の邦画の配給収入ランキングでも歴代4位に位置するなど、商業的には成功したと言えるでしょう。しかし、「失敗」という評価が一部で聞かれるのは、主に「当初の目標に達しなかった」という点と、「海外での興行が振るわなかった」という点に起因していると考えられます。
当時の制作陣は、配給収入で70億円を目指していたと言われています。しかし、実際の配給収入は最終的に45億円にとどまりました。また、前売りチケットも目標の600万枚に対して400万枚という結果でした。これは、当時のバブル経済の象徴とも言える空前の製作費45億円(宣伝費10億円を含む)という規模からすると、期待値が高すぎたためかもしれません。
一方で、海外での配給も苦戦を強いられました。丸紅が海外配給権を得て世界中に売り込みをかけましたが、なかなか売れず、作品の手直しをして公開にこぎつけたものの、興行的に失敗に終わりました。これは、日本国内で高い評価を得た超大作であっても、海外市場では通用しないという実例として挙げられることがあります。
ただ、多くの企業が出資し、中国政府も出資して全面協力体制で製作された点や、日中合作映画として初の成功を収めた「未完の対局」(1982年公開)の成功体験が、『敦煌』の製作費が膨れ上がる要因となった背景も考慮すべきでしょう。結果的に、映画『敦煌』は商業的には成功したものの、期待値があまりにも高かったために「目標未達」という評価が下された側面もある、と言えるかもしれません。
小説『敦煌』はどこで読める?
小説『敦煌』は全国の本屋で購入することができます。また、電子書籍版も販売されており各電子書籍サイトから購入可能です。中でも【DMMブックス】 では『敦煌』の試し読みをすることができますので、まず試し読みをしてみて、内容が気に入ったようであれば購入を検討するとよいでしょう。DMMブックスは初回購入時に70%オフで電子書籍を購入できるクーポンが付いてきますので、お得に購入できるチャンスです。

『敦煌』の小説あらすじが紡ぐ歴史ロマン
今回の記事の内容をまとめます。
- 井上靖の歴史小説『敦煌』は科挙に失敗した趙行徳の波乱の生涯を描いている
- 主人公は西夏文字に魅せられ西域へと旅立ち西夏軍に編入される
- 物語は趙行徳が敦煌の貴重な文化遺産を守るために尽力する過程を描く
- 悲劇の王女ツルピアや豪放な隊長朱王礼など個性豊かな登場人物が物語を彩る
- 物語の舞台は11世紀初頭の北宋と西夏が対立する激動の時代である
- シルクロードの要衝である敦煌が、民族間の対立や興亡の中心地として描かれている
- 小説は実話に基づいているわけではなく、歴史的事実を基に創作されたロマンである
- 後世に発見された莫高窟の敦煌文書の由来を主題としている
- 敦煌文書が隠された理由については複数の歴史的な説が存在している
- 読者からは壮大な歴史ロマンや登場人物の魅力が高く評価されている
- 作者の井上靖は日本を代表する歴史小説家で西域小説を得意とした
- 1988年に映画化され、そのあらすじは小説のストーリーラインを踏襲している
- 映画は巨額の製作費が投じられ現地ロケが行われた
- 映画は商業的には成功したが当初の目標には及ばず「失敗」と見られることもある
- 海外興行の不振も「失敗」という評価の一因となった
- 小説『敦煌』は歴史の謎に想像力を加え、読者に深い感動とロマンを与える