こんにちは。あらすじブックマーク、管理人の「おうみ」です。
「マノンレスコー」はとても有名な作品ですが、いざ小説のあらすじを簡単に知りたいと思っても、オペラ版の情報がすごく多かったり、プッチーニ版との違いがよく分からなかったりしますよね。特に登場人物たちの心理や、物語が生まれた時代背景、そして多くの人が気になる衝撃的な結末(ネタバレ)まで、しっかり把握したいという方も多いかなと思います。
この記事では、多くの派生作品の「原作」である、アベ・プレヴォーによる小説版の『マノン・レスコー』に焦点を当てて、そのあらすじや魅力を分かりやすくまとめてみました。
- 小説版のあらすじと衝撃的な結末
- マノンとデ・グリューの人物像
- 物語が生まれた時代背景とテーマ
- オペラ版や他の派生作品との違い
『マノンレスコー』あらすじ 小説版の概要
まずは、物語の核心である小説版『マノン・レスコー』のあらすじや背景について、詳しく見ていきましょう。この物語がなぜ「スキャンダラス」と呼ばれ、同時に「傑作」として読み継がれているのか、その理由が分かるかと思います。
物語のあらすじを時系列で追う

この物語は、主人公である騎士(シュヴァリエ)・デ・グリューが、自らの過去を告白する、という形で進んでいきます。
出会いとパリへの駆け落ち
物語の始まりは、主人公デ・グリューが17歳の時。彼は貴族の家柄で、成績優秀、将来を嘱望されるエリート学生でした。しかし、アミアンの宿駅で、まさに修道院へ送られようとしていた美少女マノン・レスコーと出会い、一瞬で恋に落ちてしまいます。
デ・グリューは、親友ティベルジュの制止も聞かず、家名も将来もすべてを投げ打って、マノンと二人でパリへと駆け落ちすることを決意します。ここから、彼の転落の物語が始まってしまうんですね。
最初の裏切りとデ・グリューの堕落
パリでの甘い生活は、しかし「お金」という現実の壁にぶつかります。マノンは美しく魅力的でしたが、同時にお金がかかる贅沢な暮らしを好む女性でした。貧しい生活に耐えられなくなったマノンは、デ・グリューを愛していると言いながらも、裕福なパトロン(G…M…氏)のもとへ走ってしまいます。
捨てられたデ・グリューは一度絶望し、親友ティベルジュのもとで神学の道に戻ろうとします。でも、マノンへの情熱を忘れられず、再会を果たすと、今度は「マノンが望む贅沢な暮らしをさせるため」に、彼自身が道徳を踏み外していきます。
彼は賭博や詐欺に手を染め、エリート学生だった面影は消え、堕落の道を突き進むことになります。
投獄とアメリカ追放
当然ながら、二人の詐欺行為はバレてしまい、逮捕されます。ここで当時の身分制度がはっきり出ます。貴族のデ・グリューは比較的軽い罰(修道院での懲役)でしたが、身分の低いマノンは「売春婦」などが送られる劣悪な監獄(オピタル)に入れられてしまいます。
デ・グリューはマノンを救い出すため、なんと看守を殺害して脱獄。さらにマノンも強引に救い出します。もう、ただの駆け落ちではありません。彼は「殺人犯」になってしまったんです。
しかし、逃亡生活も長くは続かず、マノンは再び逮捕されます。今度の判決は重く、当時フランスの植民地だったアメリカ(ニューオーリンズ)への「流罪(追放)」が決定します。
デ・グリューは囚人ではないため、法的にはフランスに残ることもできました。しかし、彼はマノンと離れることを拒否し、自ら「志願」して流刑囚の護送船に乗り込み、マノンと共に「新世界」アメリカへと渡る道を選びます。
衝撃的な最後の結末とは

【結末のネタバレ注意】
ここからは物語の核心である、最後のシーンについて触れています。小説やオペラを未見の方はご注意ください。
新天地ニューオーリンズで、二人は束の間、貧しいながらも穏やかな生活を送ります。この地でマノンは初めて、これまでの享楽的な生活を反省し、デ・グリューへの純粋な愛に目覚めたように見えました。
しかし、悲劇は二人を追いかけます。
マノンの美しさが、またしても騒動の火種となります。現地の総督の甥がマノンに横恋慕し、デ・グリューは彼と決闘騒ぎを起こしてしまいます。相手を殺してしまった(とデ・グリューは思い込みます)二人は、ニューオーリンズからも「脱走」し、広大な荒野をさまようことになります。
ヨーロッパ社会の秩序や金銭といったものから完全に切り離された「荒野」で、二人は初めて純粋な愛だけで結ばれます。ですが、それはあまりにも過酷な現実でした。
飢えと渇き、疲労で衰弱しきったマノンは、デ・グリューへの愛と感謝を口にしながら、彼の腕の中で静かに息絶えます。
すべてを捨て、法を犯し、ついには新大陸まで追いかけてきたデ・グリューの愛は、マノンの死によって、この世のすべてから引き離されるという形で悲劇的な結末を迎えるのです。
物語の時代背景を知る

この物語が書かれたのは、18世紀フランスの「摂政時代(レジャンス)」と呼ばれる時期です。これは、厳格だったルイ14世の治世が終わり、次のルイ15世がまだ幼かったため、オルレアン公フィリップが摂政を務めた、いわば「過渡期」でした。
この時代は、古い道徳観が揺らぎ、一方で金銭万能主義が台頭してきた、秩序が緩んだ享楽的な空気がパリに満ちていたそうです。
豆知識:摂政時代(Régence)とは
1715年から1723年までの短い期間ですが、貴族たちは抑圧から解放され、パリでは豪華なパーティや賭博が流行しました。まさにマノンが求めた「奢侈(ぜいたく)」な空気が渦巻いていた時代だったんですね。
主人公デ・グリューは「貴族」という古い価値観(名誉)の象徴ですが、彼がマノンを繋ぎとめるためには、新しい価値観である「金銭」がどうしても必要でした。名誉(身分)はあっても金はないデ・グリューが、金のために名誉を捨てて犯罪に走るという悲劇は、まさにこの時代だからこそ生まれた物語だと言えるかもしれません。
作品のテーマを徹底解説
この小説のあらすじを追うと、いくつかの普遍的なテーマが浮かび上がってきます。
愛 vs 富(奢侈)
この物語の最も大きな対立軸は、デ・グリューが求める「純粋で絶対的な愛」と、マノンが求める「富(贅沢な暮らし)」です。マノンはデ・グリューを愛していないわけではないんです。でも、それ以上に貧困を恐れ、贅沢な暮らしの誘惑に勝てない。純粋な「愛」が、現実社会の「経済的基盤」なしには存続し得ないという、冷徹な現実を描き出しています。
道徳の崩壊と「宿命」
もう一つのテーマは、エリート学生だったデ・グリューが、愛のためにいとも簡単に道徳を踏み外し、犯罪者へと転落していくプロセスです。彼は自分の行動を、マノンのせい、あるいは抗えない「宿命」のせいだと語ります。
作者のアベ・プレヴォーは本職が聖職者だったにも関わらず、発禁処分を覚悟でこの作品を書きました。それは、理性を超えた「情熱」や「宿命的な愛」の前に、人間がいかに無力であるかという「人間の弱さ」を描きたかったからかもしれませんね。
ファム・ファタル(宿命の女)
マノンは、男性を破滅させる「魔性の女(ファム・ファタル)」の原型の一つとされています。この作品は、後世の『椿姫』のあらすじと原作小説(高級娼婦マルグリット)などにも直接的な影響を与え、「上流階級の男が、身分の低い(あるいは俗な)女との恋愛で身を滅ぼす」という物語の系譜を生み出しました。
主要な登場人物の紹介

この強烈な物語を動かす、主要な登場人物たちを紹介しますね。
マノン・レスコー:魔性の女か?
ヒロインのマノンは、とにかく美しく、人を惹きつける魅力を持っています。自由奔放で享楽的。デ・グリューを愛していると口にしながらも、お金のために平気で彼を裏切ります。
ただ、彼女を単純な「悪女」とか「魔性の女」と切り捨てていいのかは、難しいところです。彼女は18世紀のパリで、貧しい女性が贅沢に生きるための手段が限られていたという現実の犠牲者とも言えます。また、物語のすべてがデ・グリューの「主観」で語られているため、彼に都合よく「浮気性な女」として描かれている可能性も否定できません。
騎士デ・グリュー:愛に殉じる青年か
主人公であり、物語の語り手。17歳でマノンに出会うまでは、品行方正なエリートでした。しかし、マノンへの「一目惚れ」によって、人生のすべてを捨てて転落していきます。
彼の語りは、自分の破滅的な行動を「宿命」や「マノンの魅力」のせいにし、自己弁護しているようにも聞こえます。しかし、その一方で、社会のあらゆるルールを捨ててでも一つの愛を貫こうとする情熱は、ロマン主義的でもあり、読者を強く惹きつける部分でもあります。
ティベルジュ:理性と友情の象徴
デ・グリューの親友です。彼は物語の中で一貫して「理性」「道徳」「宗教」の立場から、破滅に向かうデ・グリューを止めようと忠告し続けます。デ・グリューがティベルジュの忠告を無視し、彼からお金を借りて(時には騙して)マノンのために使ってしまうプロセスは、デ・グリューがいかに「理性」から遠ざかっていくかを象徴しています。
文学史における位置づけ
『マノン・レスコー』は、18世紀の作品でありながら、「フランス恋愛心理小説の礎」と呼ばれる傑作です。
当時は「理性」を重んじる啓蒙主義の時代でしたが、この作品は理性が情熱によって無力化される様を描き切ったため、不道徳だとして発禁処分を受けました。しかし、そのスキャンダラスな内容と心理描写が、逆に次代の「ロマン主義(個人の感情の絶対性を賛美する時代)」の先駆けとして熱狂的に受け入れられたんですね。
『マノンレスコー』小説のあらすじと他ジャンル
『マノン・レスコー』は小説としてだけでなく、オペラやバレエなど、他の芸術分野にも大きな影響を与えました。ここでは、有名な派生作品と小説版との違いについて解説しますね。
有名なオペラ版との違い

「マノン」と聞くと、オペラを思い浮かべる方も多いかもしれません。特に有名なのが、マスネ作曲の『マノン』(1884年)と、プッチーニ作曲の『マノン・レスコー』(1893年)です。
小説とオペラの最大の違い
小説版は、デ・グリューが過去を回想する「一人称の告白体」です。そのため、彼の主観や自己弁護を通してマノンが描かれます。
一方、オペラ版は物語を「三人称視点」で描くため、マノン自身の心理や感情(特にプッチーニ版では情熱)が、より直接的に観客に伝わるように作られています。
どちらも原作のあらすじ(出会い、パリでの生活、裏切り、アメリカ追放、荒野での死)をなぞっていますが、演出や重点の置き方が異なります。
| 項目 | 小説(原作) | オペラ『マノン』(マスネ作) | オペラ『マノン・レスコー』(プッチーニ作) |
|---|---|---|---|
| 作者/作曲家 | アベ・プレヴォー | ジュール・マスネ | ジャコモ・プッチーニ |
| 成立年 | 1731年 | 1884年 | 1893年 |
| 特徴 | デ・グリューの一人称告白。心理描写が中心。 | 18世紀フランスの優雅さ、マノンの移ろいやすい心理描写に焦点。 | 情熱的でドラマチック。特に終幕の悲劇性を激しく描く。 |
| 結末 | アメリカの荒野でマノン死亡。 | 小説に準拠(アメリカへの護送路上で死亡する演出が多い)。 | アメリカの荒野でマノン死亡。 |
大まかに言うと、マスネ版はフランス・ロココ調の優雅さと繊細な心理描写、プッチーニ版はイタリア・オペラらしい激しい情熱とドラマ性を重視している、という違いがあるかなと思います。
オペラで有名なアリア
オペラ版が有名な理由の一つが、心に残るアリア(独唱曲)の存在です。
特にプッチーニ版の第4幕、アメリカの荒野でマノンが死を前にして歌う「ひとり淋しく捨てられて (Sola, perduta, abbandonata)」は、彼女の絶望とデ・グリューへの愛が痛いほど伝わってくる、非常に有名なアリアです。
また、第2幕でマノンが豪華な生活の虚しさを歌う「この柔らかなレースの中で (In quelle trine morbide)」も、彼女の複雑な心境が表れていて印象的ですね。
映画化された作品はある?
この物語は何度も映画化されています。ただ、原作の18世紀フランスを忠実に再現したものだけでなく、舞台を現代に移し替えた「翻案」作品が多いのも特徴です。
- 『情婦マノン』(1949年/フランス) アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督作。舞台を第二次大戦直後のフランスに移しています。デ・グリューはレジスタンス活動家、マノンはナチス相手の売春婦という設定で、結末もアメリカの荒野ではなく「砂漠」になっています。
- 『恋のマノン』(1968年/フランス) 主演はカトリーヌ・ドヌーヴ。こちらは1960年代の現代が舞台。自由奔放なマノンにジャーナリストのデ・グリューが振り回される物語になっています。
- 『マノン』(1981年/日本) 東陽一監督、烏丸せつこ主演の日本映画版もあります。
時代設定が変わっても、根本にある「男を破滅させる女」と「彼女から離れられない男」という構図は共通しているのが面白いところです。
吹奏楽曲プッチーニの編曲

「マノン・レスコー」というタイトルは、実は吹奏楽の分野でもよく知られています。
これは、プッチーニのオペラ『マノン・レスコー』の「第3幕への間奏曲」が、吹奏楽用に編曲されてコンクールなどで演奏される人気曲になっているからです。
この間奏曲は、マノンがアメリカへ流刑される護送船に乗る直前に演奏される、非常に悲劇的で美しい曲です。小説やオペラのあらすじを知った上でこの曲を聴くと、デ・グリューの絶望やマノンの運命がより深く感じられて、感動もひとしおかなと思います。フランシス・マクベス氏や木村吉宏氏など、様々な編曲版が出版されていますね。
『マノンレスコー』小説のあらすじについて総括
今回は、「マノンレスコー あらすじ 小説」というテーマで、原作小説の魅力や背景を深掘りしてみました。
オペラや映画、バレエなど、多くの派生作品を生み出した『マノン・レスコー』ですが、そのすべての原点である小説版は、主人公デ・グリューの主観的な「告白」を通して、愛と道徳、理性と情熱の激しい葛藤を描き切った点に、時代を超えた魅力があるのだと私は思います。
マノンは本当に「魔性の女」だったのか、それともデ・グリューが「宿命」のせいにして堕落していっただけなのか…。
小説のあらすじを知ることで、オペラや映画などの他の作品を見たときにも、その解釈の違いや奥深さをより楽しめるようになるはずです。ぜひ、この機会に不朽の名作のあらすじに触れてみてくださいね。


